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教えない、その願い 9

Author: 花室 芽苳
last update Last Updated: 2025-11-08 22:05:42

 二の腕を掴まれて、強引に部屋の中へと引きずり込まれる。まさかさっきのも演技だったっていうの?

 酔っぱらいのふりをした悪質な上司に、私はもう絶句するしかない。

 そのまま廊下の入り口に座らされて、梨ヶ瀬《なしがせ》さんに覆いかぶさられるような状態になってしまう。

 ちょっと待って!? ここまで強引なのは、いくら何でも反則でしょう?

「ちょっと、流石に怒りますよ?」

「俺も怒ってるよ。横井《よこい》さんが、あんな男と仲良くして見せつけてくるから」

 そう言って睨むように見降ろされて、私の心臓がバクバクと音を立てている。こんな風に梨ヶ瀬さんが自分の感情をストレートに伝えてくるのは珍しい事だったから。

 さっきまでフニャフニャしてたくせに、本当にこの人は狡い。こんな一面も私に見せてくるなんて。

「伊藤《いとう》さんはただの知り合いです、あの人には別に好きな人がいますし」

 たとえそれが報われる可能性の無い想いだとしても、それを持ち続けるのは伊藤さんの自由だから。

 変な勘違いはしないで欲しい、そう思ってるのに梨ヶ瀬さんは納得してくれない。

嫉妬に狂う梨ヶ瀬なんて全然らしくないのに、酔いのせいなのか彼は感情を素直に言葉にしてくる。

「今はそうでも、この先も横井さんを意識しないという保証はない。少なくとも伊藤さんは、君に興味を持っているから」

興味と言えば聞こえはいいが、伊藤さんにとって私は揶揄いの対象でしかないはず。もともと紗綾《さや》の情報を得るために、連絡を取ってきたにすぎないのだから。

 でも今は、そんなことを説明できるような状況じゃない。梨ヶ瀬さんの目は座っていて気を抜くと、そのまま食べられてしまいかねないのだから。

「そんな先の事は分からないじゃないですか、そんな風に焦ってるの梨ヶ瀬さんらしくないですよ?」

「……俺らしいって何? 俺は横井さんの思っているような、余裕ある大人の男でいなきゃ駄目なの?」

 スッと細められた目にドキリとする、もしかして彼を傷付けてしまったのかと。確かに私は自分の持っている梨ヶ瀬さんのイメージを、勝手に押し付けようとしたのかもしれない。

 でもそれは……

「だって困るんです。そうやって梨ヶ瀬さんの色んな一面を見つけるたびに、私は……っ!」

 つい余計な事を言ってしまいそうになって、慌てて口を手で押さえたけどもう遅かった。

 
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